kibacoについて
初めましての方は初めまして、ご存じ頂いている方はいつもお世話になっております。
「 」とコーヒーkibacoの店主、松本啓吾と申します。
ここではこのお店や店主のことについてあれこれと書いてみようと思います。
まず店名ですね。
初見で読めた方はまだいらっしゃいません(笑)
「 」の部分はスペースと読むんです。スペースとコーヒーkibacoですね。
なぜ「 」としたかについては、このお店でのお客様の過ごし方を限定したくないという思いを込めています。
本を読みたい方にとっては「本」とコーヒーkibacoですし、お喋りしたい方にとっては「お喋り」とコーヒーkibacoです。
カメラの話をしたい方にとっては「カメラ」とコーヒー、キャンプの話をしたい方にとっては「キャンプ」とコーヒー...お客様のお好きなように過ごして頂きたいのです。
その思いとレンタルスペースとしての運営も考えていたのでそのスペースともかけて店名は決めました。
kibacoについては、自転車によく乗っていたころのあだ名がキバコ君だったからです。
しまなみ海道をかけていくロードバイク乗りの方々にとって緑の自転車に木箱を括り付けてピクニックへ出かける私の姿は衝撃であったらしく、サイクリングイベントなどで呼ばれるようになったあだ名がキバコ君だったんですね。
喫茶店を開く前、サイクリングイベントを企画したり一日喫茶店をする際にもこのあだ名から頂いて「bicycle & coffee kibaco」と名乗らせて頂いておりました。
次に店主のことについて。
店主は尾道出身では御座いません。いわゆる移住組ですね。
出身は京都市の左京区、京都市といってもかなり山のほうの田舎になります。
京都にいたころは何をしていたかというと、自動車の整備士を少しさせて頂いていました。
整備士を目指した切っ掛けというのは一台の車との出会いからです。
高校生のころ土曜日の部活に向かう最中のことでした。
自転車で大きな交差点に差し掛かった時、明らかに只者ではない自動車の排気音が近づいてきました。
音のほうへ目をやると、一台の車が赤信号で停車しようとしているところでした。
見るだけで圧倒的なスピードを感じさせる低く構えたシャープなデザイン。
純白のボディに余計な装飾はなく、ボンネットからルーフにかけてブラックのラインが2本走るのみ。
信号が青に変わると共に甲高い排気音を奏でながら走り去っていったその車、フェラーリF430スクーデリアは本当に格好良く、その日からコロッと車好きになってしまった私は自動車に関わる仕事、自動車整備士を目指すことになったのでした。
高校卒業後、両親が高い授業料を払って整備士学校に通わせてくれたお陰で無事整備士の資格を得ることが出来ましたが、就職に躓いてしまいました。
結局地元の整備工場に拾って頂いたものの、その会社の新規出店と人手不足から私は二店舗掛け持ち勤務となってしまい、日を跨ぐ長時間労働を続けることができずに心身共に調子を崩し2年ほどで退職することになりました。
残念かつ両親にも申し訳ない結果に終わってしまったのですが、整備士を目指すという目標が出来てから初めて自主的に物事に取り組むようになり、間違いなく人生の転換点ともいえる時期でした。
退職後、職業訓練校に通いながら次の道を探し始めました。
そのころ興味が湧いていたのが「地域おこし」に関わる仕事でした。
なぜ車から地域おこしに?と思われるかと思います。
当時から「若者の車離れ」は叫ばれており、整備士学校のころから「若者に車に興味を持ってもらうにはどうしたらよいのか?」「自動車会社やディーラーが地域の人と関わっていくにはどうしたらよいのか?」といったことを考えていたんですね。
そこから自動車関連に限らず様々な業種で面白い取り組みをされているお店や人について調べていくうちに、「お店と地域の関わり方」や「地域の活性化」にも興味が広がっていました。
一時は「地域おこし協力隊」にも憧れていましたね。
ただ地域おこし協力隊が入るような地域だと、普通のサラリーマンとして移住するのは難しそうだということがわかりました。起業前提か、その地域の農業や林業といった仕事に従事するか...というのが現実でした。
地域おこしそのものを生業とするのは難しいとなり、次に考えたのは普通のサラリーマンとして移住できる範囲で面白い土地に行こうということでした。
そのころに出会ったのが尾道でした。きっかけはもう忘れてしまいましたが、たぶん空き家再生プロジェクトさんを取り上げたネット記事などを目にしたのだろうと思います。
実は尾道には学生のころ広島旅行の帰りに立ち寄っており、そのレトロな街並みなどが印象に残っていたことも大きかったです。
移住先を尾道にひと先ず絞った後、確か最初にゲストハウスのあなごのねどこさんに一週間ほど滞在してみた記憶があります。
その後住まい探しや仕事探しで何度か日帰りで京都と尾道を行き来して移住の準備を進めていきました。
最終的に尾道に移住を決めたポイントは、
①一週間のゲストハウス生活で、「暮らしていて心地よい街」だと感じたこと。
②隣接する福山市が広島第二の都市であり、仕事を見つけやすかったこと。
①の「暮らしていて心地よい街」というのは移住後4年半が過ぎようとしている今でも思いは変わりません。歩いて回れるこのコンパクトな街の中に素敵なお店や美しい景色、レトロな街並みがギュッと詰まっており、私にとってかけがえのない「小さな宝箱」です。
②については良い点でもあり悪い点でもあります。私が尾道のハローワークで仕事を探していて思ったのは、尾道の仕事は造船、製造、この二つにまつわる関連企業、医療、介護、パートやアルバイトでの観光業、という印象でした。
おそらく現在も産業構造は大きく変わっていないと思いますし、ほかの方からも「大卒で働く街ではない」という声もお聞きします。
現に私も尾道でこれだという仕事に巡り合えず、隣の福山市で運よく良い条件の企業に拾って頂けたおかげで仕事に就くことが出来ました。
現在の尾道の仕事を否定するわけではありませんが、それに加えて都市圏の新卒層が働きたいと思えるような企業の誘致が尾道市の今後の課題ではないでしょうか。
少し話が脱線しましたが、住まいのほうも地元の不動産屋さんのお陰で良いところに見つかり、2018年6月に晴れて尾道への移住が実現しました。
その後は平日は福山へ仕事に通い、休日は大好きな尾道で過ごすという日々を送りました。
移住後2年ほど熱中したのが自転車でした。とはいっても早く駆け抜けるロードバイクは余り合わず、お世話になっていた自転車屋さんから教わった自転車ピクニックばかりをしていました。
緑のレトロなスタイル自転車に木箱を括り付けたそのスタイルから、あだ名が「キバコ君」になってしまったのは先ほども申しあげたとおりです。
その後、ピクニック熱はエスカレートしていきます。
「いちいち道具を広げるのも面倒だな。」
「お湯を沸かすときの風よけもいるな。」
「立ってコーヒー淹れるほうがやりやすいな。」
そして出来上がったのが木箱二号機です。
前に取り付けた木箱を広げると、そのまま自転車コーヒースタンドに早変わり。
まさしく変態の所業、学生のころから「発想の出発点はわかるが解決方法が予想の斜め上」といわれた男の本領発揮です。
この木箱が知り合いの中でも話題にして下さり、「外で友達とお茶したいからコーヒー淹れに来てくれない?」と呼んで頂いたり、「面白いからうちの店の前でやってみたら」と声をかけて頂けることが増えてきました。
自分のピクニックの為だったコーヒーと木箱が、だんだんと人に提供させて頂くものに変わっていったんですね。
そうなるとコーヒーにもどんどん拘りも出始め、いろいろ調べて改善していくうちに美味しいと喜んでいただけることも増えてきました。
やはり人に喜んでいただけるのが一番のやりがいですね。
さらにありがたいことに、とあるお店との出会いから自転車を離れてお店のカウンターに立っての一日喫茶店をさせて頂けることにもなりました。
自転車ではせいぜい3~4杯くらいしか淹れていなかったのが、もっと多くのお客様を相手にさせて頂くようになりここで沢山の学びを得られました。
コロナ流行の合間を見ながら、かなりの回数をさせて頂きました。
自転車に括り付けた木箱から、一日喫茶店のkibacoへ。
実はまだこのころはお店を持とうというのは考えていませんでした。
自分でやるならこんなことをしてみたいという思いは色々浮かびながら、まだまだ遠い話だと思っていたんです。
最後のきっかけは、2021年の年末にある店主さんから頂いた連絡でした。
尾道に来てからずっと通わせてもらっていた雑貨屋の店主さんで、連絡の内容は、
いろいろ事情があって尾道を離れることになり、お店を閉店することになったこと。
住居兼店舗として暮らしていた思い入れのある建物なので、あとに人が入るなら大切に してくれる人に入ってほしい。最初に私の顔を思い浮かべて下さったということ。
将来やりたいことを聞かせてくれていたし、良かったらここでチャレンジしてみないか?
というものでした。
本当にありがたいお話でした。
ちょうどサラリーマンの仕事を続けようか迷っていた時期ということもあり、一大決心でしたがお店を始めるという決断をしました。
店主さんから物件の大家さんにご紹介して頂き、前店主さんと入れ替わる形でお借りできることが無事決まりました。
その後沢山の人に背中を押してもらいながらお店の構想を固めていき、できる範囲はDIYでお店作りを進め、2022年10月8日、尾道灯り祭りの日に晴れてオープンを迎えることが出来ました。
自分は何かを始めようと思って尾道に来たわけではありませんし、移住当初は何のスキルもないただの第二新卒扱いの若造でした。
自分がここまでこれたのはやりたい放題な私に呆れながら背中を押してくれた家族と尾道に来てから知り合わせて頂いた方々のお陰ですし、尾道という不思議な縁のある街のお陰だと思っています。
「 」とコーヒーkibacoで守っていきたいことがいくつかあって、
「お客様にとっての居場所になれるお店」
「人に関わって頂くことで『楽しい』が生まれるお店」
「尾道に来た人、これから尾道に関わりたいと思っている人の第一歩、入口になれるお店」
「尾道で何かを始めてみたいと思って下さった方を応援するお店」
このお店を通じてもっとたくさんの方と知り合っていきたいですし、尾道っていいところだよというのも発信していきたいと思っています。
なかなかいいオチがつきませんが、こんな店主がやっているお店です。
よかったらお喋りしにいらっしゃって下さいませ。
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