2022.12.07 04:45歴史について勉強中の書きなぐり「港町」尾道としてのスタートは1169年、年貢を運び出す港「倉敷地」として朝廷から認められたことです。時代としては平安時代の終わりごろのこと。平清盛に代表される平氏の勢力が拡大しており、広島県北部の世羅台地に広がる米どころ、「大田庄」と呼ばれた荘園も清盛の五男である平重衡の領地となっていました。しかし米どころ「大田庄」の課題が収穫した米を運び出す港「倉敷地」を持っていなかったことであり、そこで白羽...